目で見るよりも刺さる。友人や恋人と、そういう写真が撮りたい | 深夜1時のモノクローム

僕は凝り性です。

ギターにハマってグッと情熱を注ぎ込んでは、違う面白いものを見つけて今度はそちらに。紆余曲折あって今は特に、写真に情熱を注いでいます。

半年前くらいまでは写真は撮るだけで楽しかったのですが、最近は写真を撮る意味を考えるようになりました。良いとか悪いとかじゃなくて考えてるってだけなのですが。

 

ぼやぼやと考えていたら、

「あ、こういう写真が撮りたいかも」

というのが少し、見えてきました。ほんの少しだけ。今回はそんな”撮りたい写真”のお話をしたいと思います。

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撮りたいのは、その場の温度も写しこむ写真

僕が撮りたいと感じたものは、言葉にすると”その場の温度も写しこむ写真“です。

感覚的なものなので、なんでそういうものを撮りたくなったのかと理由を聞かれると難しい。ただ、楽しそうな写真は一緒に見ながら笑い合いたいと思うし、切ない写真は見ながら黄昏れたいと思っています。

自分も含めて、見ている人と写真の”感情”を共有したいと感じたときに、この”温度”という言葉が浮かびました。

 

今まで撮った奴写真でちょっと意識したものがありまして、

たとえばこの写真。これは一人で自宅で自撮りしたのですが、

「夏だけど少し涼しくなってきた。コーヒーを飲もう」

みたいな感じを想像して撮りました。夏だから半袖のTシャツを着て、ちょっぴり青めの加工を意識しています。

こういうのも好きな写真の一部。

意識して写真を表現しながら撮影できたものはまだまだ少ないですが、それでも最近ちらほらと、気に入ったものが撮れる確率が増えてきた気がします。

目指すは”目で見るもの”以上

写真を撮っていると

「ちゃんと目でみて楽しめよ~撮影ばっかじゃつまんないぞ!」

みたいなことを言われることをよく言われます。

 

たしかに、一理はあると思います。その場所その時間は本当に一瞬しかなくて、記録して撮った写真を後から見返してもそれと全く同じ感情は味わえないことのほうが多い。それどころか見返さないことすらある。

でも、撮りたいって気持ちは変わらない。だったら、その瞬間以上のものを写真で表現するのがやっぱり目指すべきところなのでは、と思っています。

 

 

あとから見て、

「あぁ、確かにこの時めっちゃ楽しかったよな」

と、当時以上の感情があふれて、さらに良い思い出で上書きできるなら最高じゃないですか? そのためには前提として、当時の”温度”写真に織り込んである必要があって、その上で見るもの以上の美しさが必要なんだと思っています。

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さいごに

写真はときに人の目で見る以上のものを与えてくれて、そして言葉以上のふくらみを持たせてくれます。

まだまだ自分では納得のいく写真も撮れないし、雰囲気を後付けしてしまうときばかりですが、とてつもないやりがいを感じます。

写真を表現するための手札は増やしたいから、機材も買うし足も使う。大変だけど、その先にある未来を考えるのが楽しいから、僕は写真を撮っています。

そう感じた夜中の1時でした。

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